熊本日記5

さていよいよ本番当日になりました。
と言っても本番前は勿論こんなこと書ける状態でありませんし、本番後は疲労困憊と夜の布教活動(?)等あって本来の日記の定義でなく、後日日記になってしまいました。

なんと120くらいの定員の教会が90名余りの皆様に集まっていただき、ソーシャルディスタンスを取ったらパイプ椅子が必要な状況になりました。
本当の嬉しい悲鳴、有り難い限りです。
このルーテル健軍教会では今回7度目のコンサートになりました。
響きがとても素晴らしく、明るい陽射しが入りステンドグラスを美しく演出してくれます。

第一番、やはりお客様の前では緊張してしまいますね。しかし、1楽章の途中から少しずつその感覚が解け、徐々に嬉しさと集中力が増していきます。
そして第二番、シリアスな冒頭部分と本編に没頭していると、キターっ。左手辺りに違和感。吊ってきました。
その後の休憩中に控え室で譜めくりをお願いした方が(この方医師免許お持ちです)水分と塩分が不足すると吊りますと教えてもらいました。
確かに汗っかきなのとトイレ事情を鑑みて、水分を控えてました。お話の後とりあえず水分補給を。
すぐに治る訳もなく、第三番。
めちゃめちゃ有名で皆さん知ってる曲なのでハードルが高まります。(泣)
もう始まったら後に引けないのでイチかバチか状態です。一瞬「早く時間が過ぎ去らないかな~。」と演奏者にあってはならない気持ちも出始めましたが、人前で演奏出来る事への感謝を胸に、何とかこらえているうちに水分補給の効果で収まってきました。(ホントにどうしようかと思いました)
そして第四番、大好きな美しいメロディのオンパレードのこの曲は、もう聴力が無いベートーヴェンの至高さの連続です。
さあ最後の第五番、ここまで体力、集中力が持ったことに感謝しつつ、最後の「火事場のなんとか」に頼ります。
この曲の第2楽章は人生を象徴しているかの様で、深い悩みや喜び、思い出、あらゆる感情が盛り込まれ、休み無く続く3楽章のフーガはアンサンブルも高難度です。
無事に終わり、胸をなで下ろします。アンコールは今回悩みました。やはりベートーヴェンで終わらないと。
魔笛の7つの変奏曲の6番目とフィナーレ、そして歌曲のイッヒリーベディッヒ。

お客様も大変だったと思います。
ほぼ3時間公演。誰ひとり中座されず、お帰りにもなりませんでした。
本当にありがとうございました。
ピアニストの東さんへの感謝は言葉が見つからないくらいです。

とはいえ感謝だけではいけないので、きちんと打ち上げました。
そして夜の布教活動。
友人が経営する焼酎バーで古すぎる切っても切れない
悪友、そしてマスターは熊本で1年間通った高校の隣のクラスだったのに運悪く仲良くなってしまった二人と私の3人。そんな中に東さんも今夜の犠牲者に。
なんと彼女のお父さん、高校の音楽の先生で私のその1年間の担任だったのです!(狭っ)
東さんはちゃんと良い子の時間に帰宅され、おやじ三人は閉店後ラーメン行脚。深夜2時のとんこつラーメンは背徳の味。
二人とも「またなっ」と別れ解散。

翌日、神水教会でサプライズして来ました。
牧師と一部の会員さんにこっそりお話していたので、決行です。10時くらいに信者さんが集まり始めるのでその前に準備室に隠れます。
礼拝が行われ、途中に演奏する算段です。
礼拝が始まり15分くらい過ぎると「ここで皆さんにプレゼントがあります。岩永さんよろしいですか?」と呼び込みして頂きました。
演奏曲はバッハの無伴奏の1番のプレリュード。
皆さんビックリされたみたいでコチラとしてはしてやったりで成功。
私の母も教会員でこの日も参加していましたが母にも伝えていません。(いまだに悪い息子です)
その後、礼拝に立ち会わせて頂きました。
実はこの教会、戦時中に亡くなった私の祖父が初の邦人牧師として活動していたとのこと。祖母は祖父が亡くなった後もここのオルガン奏者を務め私も小さな頃、祖母に手を引かれ一緒に通う事もありました。
また父の葬儀もこの教会で執り行われました。
自分の出自、幼い頃の思い出と共に切ないパイプオルガンの響きを聴くとちょっと感極まりそうになります。
午後はお土産探しです。
熊本県民のお馴染みの鶴屋さんを訪れ岩永醤油(親戚ではありません)の老松2本とフンドーダイの薄口醤油〈白菊〉を購入。

それから次の日、東京方面へ向かいます。
濃密でこれからの人生できっと忘れることのないおよそ10日間。
熊本をはじめ久留米、甘木の皆様ありがとうございました。
またお会いしましょう。
それまでお元気で。

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