教室日記vol.10
さて、そうこうしているうちにチェロのマスタークラスが修了し、室内楽クラスのみとなりました。
なので、ルームシェアの2人もそれぞれ日本に帰国する人、次の音楽祭に参加する人、それぞれとお別れです。
2週間程助け合いながら慣れない土地で生活していたので、寂しさやこれから一人暮らしになる不安等、様々な感情が募ります。
とは言え、忙しい毎日が待っているので感傷に浸っていてはいけません。
まずマラソンコンサートという企画があります。
これはその年のアニバーサリーイヤーの作曲家の作品を沢山の団体がキジアーナの建物の中庭(ちょっとした広間位の広さでお客さんはオープンエアの気持ちよい空間です)で演奏するコンサートで無料なので地元の音楽ファンをはじめフィレンツェや他のトスカーナの街の人々が聴きに来てくれます。
その年(1991年)はヴィヴァルディ、モーツァルト、プロコフィエフといった作曲家がプログラムに上がりました。
私は室内楽クラスで初めて知り合った日本人の方々とモーツァルトのピアノ四重奏曲第一番を演奏することに。
なんと出番が23時!
早めの夕方から始まり正にマラソンコンサート。
でも遠方以外のお客さんがしっかり最後までいらっしゃいました。
その中になんとシエナ市長も。
「初めて会ったメンバーとは思えない位素晴らしかったよ。」と通訳兼講師も務める岩崎淑先生から市長のコメントを戴きました。
このキジアーナ音楽院の建物はキジ・サラチーニという高貴な方の持ち物でホントの貴族の館です。幾つもの部屋があり、個人レッスンはもちろん練習室としても使える宮殿の様な造りです。それぞれの部屋に絵画や美術品、調度品等が飾ってあり、図書館もあります。そこで楽譜を借りたりコピー機も。
そんな今まで庶民感覚しかない我々には知り得ない、NHKの教育chの美術特集みたいな環境で音を出せる物凄い経験をさせてもらいました。(最初にアドバイスしてくれた先輩からの言葉ってこういう事なのね~。)
絶対日本に居ては感じる事のない、これが西洋の音楽のはじまりであり真髄(神髄でも)なんだ、と。
でも日曜はお休みなので、せっかくだから憧れのフィレンツェへ。シエナ~フィレンツェへは一番速いバスで約1時間。料金は当時500円程度。
毎週通いました。ウフィツィ美術館、パラティーナ美術館、アカデミア美術館、ドゥオーモ博物館等。
きっと今行っても地図要らずです。
流石は屋根のない美術館と称される街で目にする物どれもが息を呑む鮮やかさ(400年以上前のものとは思えません!)
その美しさに心踊っちゃいます。
そして脳の奥の方で何かがざわつき蠢きます。
メディチ家が造り上げた永遠の財産に圧倒されつつ、名物の市場(メルカート)や蚤の市を歩き、そこでネクタイを購入します。
スーツは一着持参しましたが、毎回同じネクタイとはいけませんので。
1本500円程度、3本だと1000円というよくある負けてくれるシステムは世界中にあるんですね。
しかし、ここイタリアではデザイン、色合いにおいてはうるさい土地柄なのでかなり素敵な物を手に入れる事が出来ます。
それから必ず通ったのがシエナにはなかった中華料理屋です。
その名も「北京飯店」。
どうしてもアジアの味を欲してしまいますので、ここで満たします。
ちゃんと最初にウーロン茶っぽいものがあり、急須ごとおいてあるのでお代わり自由。
餃子はラビオリか?青椒肉絲を頼むと細切りでなくかなり大胆なぶつ切りの赤や黄色のパプリカ。ラーメンを頼むと麺がほぼアルデンテパスタ。といった具合で日本とはかけ離れていますが文句は言えません。週に一度の貴重なアジアンテイストを味わってシエナに戻ります。
因みに10年程前にも営業していました。
次の週からメンデルスゾーンの弦楽八重奏曲とシューマンのピアノ四重奏曲のリハーサルが始まります。
どちらもやったことのない大曲で難曲です。
また素晴らしい曲なので練習もですが、曲に対するインスピレーションやアプローチを考えなければいけません。
フィレンツェで培った感動を忘れないうちに。